Twitterで、赤木かん子氏が学校図書を廃棄した話に批判が殺到していました。
私は、学校図書館は特に、除籍が重要と思っているので、この炎上には、ちょっとなあ・・と思っています。
(まあ、学校図書館に自分の本を無駄に買わせたり・・って、確かに問題かもしれませんが)
この前段の東洋経済の、赤木氏の言い分はこちら。
これを読むと、古いものはどんどん廃棄しろとある。
例えばでいうと
・20年前の日本風土記、平成の大合併以前の日本地図、ベルリンの壁崩壊以前の世界史の本など
・羽毛恐竜が載っていない恐竜の本、冥王星が惑星の仲間に入っている宇宙の本
これは当たってますよね。
まあちょっとこれは・・・???と思うのは、
自然科学が5、社会科学が3、文学が2ぐらいの割合でいい
ってとこですね。
いやいや、事実・情報・学習の本が8割って。。。そりゃ味気なすぎませんかね。
赤木さんの大きめの、自然科学の写真の絵本はとてもよくできており、名前はよく知っていたので、この炎上は異様だなと思います。
「図書館こそ、古い本を所蔵しておくべきところ」
「昔はああだったけど、今はこうなんだ、と思えるのでは」
などと批判にはありますが・・・
わたしは、このぐらいの気概で、古い本を除籍しないとならないと思うのは、
自然科学・社会科学はどんどんアップデートされているのに、こんな古い本、読ませられる子供の身にもなってほしい・・・と常々思ってきたからです(公共図書館の児童書コーナーで書架整理をするたびに)。
以前、このブログでもそれを書いていました。
とにかく、「除籍」というと「焚書坑儒だ」とか脊髄反射する人が多いように感じます。
でも、除籍は受入れと同様大事な仕事。本棚の新陳代謝は絶対に必要です。
だって、整理整頓の話でも言っているでしょう、「服を一枚買ったら一枚捨てること」と。
本好きの方は、「本を捨てるなんてケシカラン」と言います。が、物体である以上、限られたスペースには優先順位で本を置くしかなく、現場は、本当に大変なのですよ。
「ずっと本をとっといて」というのは、まあ、「原発はいらないけど、電気は自由に使わせろ」というのと同じにおいがしますね。(理想・正義を述べるが、自分の手は汚さず、恩恵だけを享受)
少し前の読売の記事では、本を買うお金が少ないから、古い本を捨てずにとっておいて、蔵書数を減らないようにしているという話が載っています。
こっちの方が問題だと思うのですけど・・・
廃棄を勧めていない理由について、盛岡市は「十分な予算がなく、学校司書の要望人数を配置できず、廃棄する本の選定などが進まない」と答えるなど、複数の自治体が予算や人員不足をあげた。
図書標準を守るため、古い本を廃棄できない実態も浮かんだ。東北地方の担当者は「予算がなく、学校には『図書標準の達成率を上げるために、古い本もなるべく長く使って』と頼んでいる」と打ち明けた。北陸地方の自治体も「廃棄しすぎて、図書標準を下回らないようお願いしている」と答えた。